毒雲日記

冴えないワ・タ・シのポイズンダイアリー

東京オリンピックロゴの件:デザイナーは身内よりも民衆に愛されるべし

こういう時事ネタをずっとやりたかった。

 

grapee.jp

 

世間をにぎわすホットな話題を。ってか、もうテレビもネットも猫も杓子も、そのネタでいい加減もうウザいわ……というヤツをいってみよう。

 

アートディレクター・佐野 研二郎氏デザインの東京オリンピック公式エンブレムが、ベルギーの劇場ロゴと似ているという指摘から端を発した、この事件。

僕が思うに、そのそもそもの発端は「ロゴがダサい」という評価からだと思う。

多くの方々が言う「ダサい」という評価は、個人嗜好の好きか嫌いかの範疇だと思う。個人的印象としてプレーンな、悪く言えば毒にも薬にもならないデザインだな、と思った。改めて、ニュースなどで露出している姿を見ると、シンプルなデザインの構成要素は、分解してあらゆる平面上(ポスターとか、パンフレットとか、ノベルティグッズ、衣装など)に展開していくコンセプトなのではないか、と思った。そのコンセプトを鑑みると、他のエンブレム候補とは一線を画しているし、当然パクリ元といわれるベルギーの劇場のロゴにはない特徴だと思う。

 

僕が思うに「ものづくり」とは、オリジナリティとはかけ離れていて、既存のモノの組み合わせに過ぎない。まだ誰も見たことのない組み合わせを「オリジナル」と呼んでいるに過ぎないと思う。

その上で、優れたデザイナーは、醜悪に着膨れしたアイディアの無駄な構成要素を極限まで削ぎ、本当の問題点を浮き彫りにする。そこには、「カッコイイか、ダサいか」なんて、個人嗜好レベルの二次元論は存在しない。ただ、選択すべき「正解」だけがある。

完成されたデザインは、紛れも無く盗んだと明確にわかるから盗みようがないし、やがて顕名性(アノニマスの反語だ)を失う。そのレベルに至ったデザインを人類は、まだ数点しか完成させていないのだ(例えば、糸とか紙がそれ)。他のデザインは、まだ磨かれている途中で、それゆえにパクったパクられたという曖昧な問題が出てくる。

 

だから、優れたデザインを生む作業の上で、佐野氏のデザインが偶々似たにせよ、似せたにせよ、問題はないと僕は思うし、どんなデザイナーも、ちょいとアイディアを拝借して磨き上げるということは、絶対やっていると思う。

そんなデザイナーと佐野氏の違いは、最初の「ダサい」に尽きると思う。

要するに、皆んなに「嫌われてしまった」のだ。だから糾弾されてしまう。

 

佐野氏の過去の作品を見ると、僕も見覚えのある仕事が目につく。そんな過去の仕事も疑われ、嫌われていっている。

多分、佐野氏は優れたデザイナーで、それ以上にコミュニケーション能力に優れた人のなのだと思う。アーティストとデザイナーの一番の能力の違いは、(そうであって欲しいのだが)、そこだと思う。

 

彼は自身の力を存分に振るい、業界で人脈を伸ばし、頂点へと登り詰め、東京五輪のエンブレムデザインという大仕事を射止めた……。

しかし、自身のデザインを一般の人に理解してもらう努力を怠ったのではないだろうか。業界の身内の根回しに執心して、エンドユーザーに愛されようとしなかったのではないだろうか。

 

佐野研二郎 (世界のグラフィックデザイン)

佐野研二郎 (世界のグラフィックデザイン)