毒雲日記

冴えないワ・タ・シのポイズンダイアリー

どうして悪人を殺してはいけないか

世の中は不条理そのものだ。

 

罪を償い無名の人間として生きるより、罪を告白して自己陶酔極まりないタイトルの手記を書き、身分を明かして当時のセンスそのままのタイトルのサイトを作ったほうが、他人からチヤホヤされ金になる(僕はどちらも読まない)。まじめに働くよりも生活保護を受けたほうが儲かる。作り手になるより、転売屋になったほうが労力もリスクも少ない。

 

法を守る、ということは「幸福になる」ということなのだと思う。

それなのに、真っ当な方法で幸せになるより、ずる賢く情を捨てて要領よく生きている人間のほうが、ずっと簡単に生きることができる。そういう人間を罪に問うことはできず、「民度が低い」とか「地獄に落ちるぞ」とか、精神論でしか訴えることしかできない。

 

人に賞賛されることをしても精神的充足にしかならず、飢えて貧窮するというのなら、誰も善行を行おうと思わない。シビアなことを言っているけれど、現在の社会では善意だけで人は生きていけない。エコも儲かるからメーカーは熱心になる。

だから犯罪が起きる、と僕は考える。

 

犯罪者は、我々の社会の欠陥が創りだした犠牲者だ。

その責任は社会の構成員であり、不完全な社会システムを諦観する私達一人ひとりにある。

だから、犯罪加害者には、更生の機会が与えられ、情状酌量の余地が与えられる。

デスノートに名前を書くように、犯罪者を即殺してしまうのは、断罪ではない。

犯罪が起きるたび、罪を問われているのは、我々なのではないだろうか。

 

ところで、クソ出版社とクソ著者をカネの亡者と批判しているブロガーさんは、ブログにあのクソ本のアフィリエイトリンクを貼り付けることに、なんの矛盾を感じないのか気になる。