年明け、文字盤が溶けたAppleWatchを交換対応してもらった。
原因については目下調査中とのことだった。今回の時計も、溶け出す可能がある。交換対応をしているのは、「今のところ」と言われていたので、次回からは有料かもしれない。
AppleWatchのキチンとした評価をしていなかった。
iPhoneとAppleWatchの組み合わせは便利だ。しかし、iPhoneだけでも十分便利だった。不満がなかった。これが僕のAppleWatchの評価の全てだった。
仕事で時計を付けることのできない僕は、AppleWatchを「あえて」使おうと、能動的にならないといけない。そこに一つのストレスがある。
あえて使おうとした時、登山でアクセシビリティを使用すれば電池切れ。自転車で使えば、片手で使えない(「hey,siri! 通知を消して」「通知を表示するには……」)。旅先で道先案内を使えば、方向音痴には表示不十分で、結局iPhoneを取り出す。
僕は大きな勘違いをしていた。
モバイルからウェアラブルに、時代が進んでいるのは間違いない。でも、iPhoneとAppleWatchの関係は、「モバイルとウェアラブル」なのだ。ウェアラブルの片方では成立しないのだ。AppleWatchは、iPhoneの周辺機器でしかないのだ。
僕はウェアラブルデバイスとして、AppleWatchに期待しすぎたのだと思う。カジェットとしてではなく、時計として考えると、5万円という価格は納得できる。毎日使わなくてもいい。色々便利な機能が付いているかもしれないけれど、それはオマケ。僕はAppleWatchをファッションアイテムとして、着飾るために装着する。
AppleWatchは、ただの時計だった。