毒雲日記

冴えないワ・タ・シのポイズンダイアリー

ソシャゲのここが嫌い

最近、聴き始めたポッドキャスト、「愚者の宮殿」の第9回の「ソシャゲ批判を考える」が面白かった。

パーソナリティーの一人は、ゲーム開発者であり、ソシャゲそのものの開発も携わっておられるそうで、中からのソシャゲの実情なんか聞けて興味深かった。

愚者の宮殿

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いくつかピックアップしてみると、「ソシャゲは開発費はそれほどかかってないんじゃないの?」という疑問に関しては、「サーバー維持費などの面で、パッケージソフト以上にコストが掛かる場合もある」という回答だった。

また「システム的に簡単すぎる」ということに対しては、「昔はノベルゲームも、単純な選択肢を選ぶだけ(時には選択もないものもあるよね)でゲームじゃないと言われていた」という回答で、僕自身、画面をタッチしているだけのソシャゲを「これはゲームなのか?」と疑問視していたところがあって、はっと気付かされる面があった。

 

ソシャゲで一番議論にあがる「課金」についても、「課金して、欲しいキャラが出る出ないという部分そのものがゲームである」というのは、なるほどと思った。

無課金者と課金者で差がでるのは不平等、とか言うのは、僕はズレた意見だと思う。対戦ゲームでプレイヤースキルの高い人間にはハンデが課されるとしたら(というゲームシステムなら良いけど)、変な話だと思う。どういう訳か、ゲームに関しては「財力」は実力と数えられるのを避けられているように思う。

理由は、ゲームが未だに子供の遊びであるからだと思う。プレイヤースキルは個人の実力だが、お金はお小遣いなど、自分の稼ぎではなく親の力に左右される場合がある。バイトで稼いだお金をつぎ込んだアカウントよりも、金持ちの子供の小遣いのアカウントの方が強いなんて、子供からしたら不条理だと思う。

 

ガチャの当選確率についていうと、運営は出現確率を辛くしてお金を搾り取ろう、としているのではなく、なかなか出ないようにして、ゆっくり遊べるようにしているのだと思う。それを必死こいて重課金して「でない! 金返せ!」というのは、これもまたズレていると思う。

ポッドキャストでも言及されているが、本来ソシャゲは空き時間にちょっとだけ遊ぶようなように作られていた。ところが、いわゆる廃人と呼ばれるようなプレイヤーが直ぐに遊びつくしてしまうせいで、ストーリーは希薄して間延びし、確率はより辛く設定されるようになってしまい、カジュアルとはいえない様な様相になってしまったのだと思う。皮肉なことに、お金を落としてくれる人間は、こういう廃人であるので彼等を無視することはできない。

 

要するに僕のソシャゲ批判は、ビジネスモデルとしては確立しているけれど、ヘビーユーザーとカジュアルユーザーが共に満足できる面白いゲームシステム作りがまだ出来ていない、という点。

無課金の場合、「ガチャを引く」というハイライト部分に達成するまで、ステージをクリアして(この部分が面白かったらイイんだけど)いくのは苦行だし、ストーリーもスカスカでつまらないしで、ゲームとして魅力を感じない。

課金してガチャする場合、それこそ「課金してガチャする」だけのゲームになってしまい、このゲームをやっている意味ってあるのか? となってしまう。

 

友人や同僚とのコミニュケーションツールとして、ソシャゲは最大勢力となったと思う。でも純粋なゲームとしておもしろいか? と問われると、微妙なんだよな、っていう。

だから、純粋にゲームが面白い、ハースストーンはいいぞ。