毒雲日記

冴えないワ・タ・シのポイズンダイアリー

言葉の乱れは言葉を生み、誤用は言葉を殺す。

こういう記事をアップすると、「偉そうに言いやがって、お前の文章間違ってるじゃん」とブーメランが返って来そうだけれど、それで問題ない。

凹むと思うが、間違いを正してくれた方がいい、この先間違い続けるよりは。

 

いわゆる老害思考の人は、若者の言葉の乱れを嫌うが、言葉の乱れによって現代の言葉は形成されてきた。方言や、流行語もそうだ。

言葉というのは、伝わる事が第一で、スマフォと書こうがスマホと書こうが、統一性など必要ない、と思っている。コンピュータと書くと、理系っぽく思えるので、僕はこの表記でいるし、サーバーをサーバとは書かないのは、「細かいことはいいんだよ」の精神でいる。「ヴ」表記も悩まない。その場のノリだ。Excaliburをエクスキャリヴァー!!!と書くこともあれば、Reviewをレビューと書いたってイイじゃんかよ。

 

対して、誤用は言葉を殺してしまう。

どういうことなのかというと、間違った使われ方をしたせいで、話し手や書き手が伝えたいことは違う捉え方をされてしまう危険性があるため、別の言葉を使わざるを得ない。

 

船を編むに登場した憮然なんかはそれで、本来の意味は「意外な成り行きに驚いたり自分の力が及ばなかったりで、ぼうっとすること」なのだが、「腹を立てている様子」と誤用されてしまうことで、「突然の死の報告に憮然とした」と書いた場合の情景が全然違ってくる。

舟を編む

舟を編む

 
舟を編む (光文社文庫)

舟を編む (光文社文庫)

 

 

他にもこんなのもある。

 

「おもむろに」は、本来は「動作が静かでゆっくりしている様子」だが、誤用としては「不意に」という意味で使われることがある。告白すると、僕自身この使い方を成人するまで使っていた。全く逆の意味なので、例えば「おもむろに刀を抜いた」という文章の場合、誤用で認識されると、衝動的な行動にとられるが、本来の場合は熟考の上での行動に思える。

 

「確信犯」は本来は、罪にならないと確信した上での行動であるが、罪になるとわかった上で開き直って犯罪をするという誤用が多い。善と悪が逆やで、節子。

 

「敷居が高い」は、「不義理や罪の意識があって、人の家に行きにくい」という使い方で、「高級すぎたり、値段が高すぎたりで行きにくい」ではない。

 

「すべからく」は「当然のように」が本当の意味で、「全員が」は誤用。

 

「弱冠」は、男子の数え年の20歳を表す中国の言葉。最近、関西テレビ瀬戸内寂聴のマネージャーを取材した番組で実際「弱冠25歳」というナレーションが入ったが、「若い」という意味での使い方は誤用である……と思ったら、「二十歳前後どころか二十九歳までは『弱冠』と言ってよい」らしい。なんてこった!! また一つ頭が良くなったぜ。あ、でもマネージャーは女性だったので、誤用は誤用じゃん!!

 

ここまで書いて、誤用によって意味が拡大するパターンもあることに気がついた。

英語なんて多いよな。悪い言葉がいい言葉に転じるパターンが多い。

なんだ、俺も老害じゃん。

変化していく言葉に身を任せればよかったんだー。