現在僕が務めている会社の元同僚が、再就職した会社をまた辞めて、違う仕事に就くそうだ。
辞めた理由は「この仕事は自分に向いていない」だった。
僕が、次の仕事は「自分に向いていそう?」と聞くと、「それはやってみないとわからない」と彼は答えた。
僕は現在、工場勤務をしている。中小企業で、ベースアップもままならないし、もう何期も連続でボーナスは出ていない。就職したときに、有給休暇は使わないでくれ、とハッキリ人事部に言われた。会社がヤバイので協力してください、と言われ給料カットや数ヶ月のスパンで人事異動が絶えない。それでも、今の仕事は僕にとって天国だ。休日が多くて、責任は軽い。同世代と比べたら少ないけれど、キチンと給料が貰える。
僕は、かつて夢を叶えた。
この仕事に付きたい、と思った仕事に付いた。
友達は夢もなく、惰性で今の仕事に就いた自分に比べて、お前が羨ましいと言った。
僕は建築やデザインに興味があり、住宅・工場の施工管理をする仕事に就いた。現場監督という仕事だ。依頼主の要望を聞いて、予算を組み、施工業者を手配し、工程表を作る。
僕は、本当に使えないヤツだった。
がむしゃらに頑張れば頑張るほど空回りしていった。
現場監督に必要なスキルは、現場に赴いて喚き散らして職人と一緒に汗水垂らして、綱渡りのような危うさで工期を納めることではなく、事務所でスマートフォンでモンストやりつつ、現場からかかってきた緊急の電話に「ああ、やっぱりその問題がでましたか。もう手配済みですよ」と答えられる、先を読む力とふてぶてしさだった。
友人は、嫌々やってる仕事でどんどん出世して給料も増えていく。変にプライドの高かった僕は自分の失敗を隠すために、本来必要のない道具、職人を手配するため給料を切り崩す。失敗を取り返そうとして、日が昇る前に現場に着いて、やった仕事が二度手間以上のひどい結果にしてしまった事もあった。
自分がやりたい仕事をやっているのに、どうして報われないのか意味がわからなかった。自分が世の中のどこからも必要とされていない人間なのではないだろうか、と思った。毎日、上司から答えに窮する鋭い叱咤を受け、答えられない自分が歯がゆかった。
結局、次の日に音信不通になるような新入社員の100倍迷惑な辞め方で会社を去った。
「この仕事は君に向いてなかったんだね」と家族や友人は言ってくれたけれど、僕はそう言いたくなかったし、認めたくなかった。
「この仕事は自分に向いていない」
その言葉を使うときは、今の仕事よりもずっと難しくて苦しいだろうけれど、ステップアップやチャレンジする時、自分を鼓舞するために使う言葉なのだと思う。