大学生のとき、子ども表記を知った。
子供の「供」は差別表現で「供える(人身御供)」や「お供する(隷属させる)」というイメージを想起させるとして、子どもと書くと良いと。
尊敬していた先生の言葉だったので、「そういうものか、子供と書くと嫌な気持ちになる人もいるのなら配慮しよう」と、しばらく「子ども」表記をしていたが、妙な違和感を覚えていた。
で、子供表記は差別表現かというと、実際はコレ。
あくまで当て字に過ぎない、というのが事実だった。
それでも子ども表記は消えない。なぜか。
それは連中が馬鹿だからだ。
今、怒った人で
「動物扱いしやがって!!」
と思った人います?
いないでしょ?
そう言う事。
それでも子ども表記を続けているのは、「私は子供たちの事を慮った善意の人間です」とわざわざ言いたいから。そう周りに思って欲しいから。意識高いね。
子ども表記をしている人やメディアの事を考えよう。TVは「善意の人」が、わざわざ抗議の電話を掛けてくるからってこともあるかもしれない。けれど、自分の思いをキチンと伝えるのがメディアの役割じゃないかな。
子供表記する人は子供を差別しているのか?
子ども表記すれば、差別していない証明になるの? そんな訳ない。
自分は、ちゃんと子供の供っていう字が当て字に過ぎないって事を知ってる。
自分ルールを押し付けるなって事。
それでも嫌なら提案がある。
「こども」って音も、君たちの論理で言うと高圧的に聞こえないか?
「愚かな人間ども」的な。
だから、「キッズ」。
「僕のキッズが運動会なので、会社を休みます」とか。
なんで、できないのかな?
もう一つ付け加えると、例えば女編の漢字の多くは、ハッキリと差別表現だ。
女を兼ねるで「嫌」。
女が少ないと「妙」。
女と石で「妬」。
女が良くて「娘」。
女が家に入って「嫁」。
女が古くて「姑」。
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さあ、文字の意味を大切にするものたちよ、漢字はやめて、全て平仮名にするが良い。
それで問題解決かな?
君の中では、ってだけだろう?